14: Revolucion #3
革命広場に人々が集まっている為、基本的に色々なお店やらなんやらはお休みになっていた。とは言ってもホテルや観光客用の店等は営業しているところもあり、中でもCoppeliaという超有名アイスクリーム屋が一応営業しているのを見つけた。この店はいついかなるときでも大勢のCubano / Cubanaが並んでいて、普通に3時間待ちになることが当たり前の店だ。さすがにこんな日にここでアイスを食べるのは国民として許されないのか誰も並んでいなかった。しかしその分在庫もほとんどなかった。少ない選択肢の中とりあえず頼んでみたが、やはりとても甘かった。
ちなみにCubano / Cubanaは待つことも待たされることも苦に思わないという特性を持っているらしい。並ぶとは言ってもちゃんと行列を作っているわけではなくて、皆思い思いにベンチに座ったり木陰に行ったり しているらしいのでいざ並ぶ時にどこに並べば良いのかわからない。なので「一番後ろの人は誰ですかー?」と叫べば「うぉーい、俺だー。俺の前はあの壁際でタバコ吸ってる おやじだー」と教えてくれるらしい。そうやって並んだら今度は次に来る人が「誰が最後尾かしら?」と叫ぶと思うので、ちゃんと応えてあげないといけない。 つまり、そのくらいのスペイン語が話せないと並べないのか?難易度高いなあ。
折角フィデル・カストロ議長を見たことだし、Viejaにある革命博物館にでも行ってみることにした。街中はいつもより行き交う人が少ないように感じられた。その分観光客である欧米人が目立った様に思えた。抜けるような晴天の中、どこか不思議な空気が漂うHavanaだった。
革命博物館に到着したものの、半ば予想してはいたが残念ながら休館日だった。ただその周りに革命時のゆかりの品々が展示されていた。戦車だったり戦闘機だったりミサイルだったり。そしてその中心にガラス張りの建物の中にグランマ号が展示されていた。グランマ号とは、フィデル・カストロを中心として実弟ラウル・カストロやアルゼンチンからやってきた放浪の戦士アルネスト・チェ・ゲバラを含む82名の革命運動グループが革命実行時に 使用したヨットである。その周りは軍人により警備されていて、近寄ることは不可能な状態になっていた。やはり革命成功のきっかけとなったヨットである為、カストロ体制にとって非常に重要で大切なモノなのであろう。ちなみにそのグランマ号で乗り込んだ地は今ではグランマという地名になり州にもなっている。
このグランマ号から始まったゲリラ戦によりバティスタ独裁政権を後退させ革命を成功させたフィデル・カストロ はすぐに社会主義政権を掲げたという訳ではなく、その後の反革命派やらなんやらとのいざこざがあった後に、 更なる革命として社会主義革命を唱えたという。
Cuba国内にいるとその反革命派がどんなだったのかという事は多くを知ることが難しい。貧富の差が激しかったというバティスタ独裁政権がいかに酷かったかという事は博物館等でわかるが、それはあくまでも革命を起こした側が用意している情報に過ぎない。革命時にフロリダに亡命した多くのCuba人の存在は何を物語っているのだろう。
今回私がCubaを訪れた目的は音楽をはじめとする文化に触れる為であり、政治に関することには触れるつもりはなかったのだが、この国で私が遭遇した多くの出来事は政治の事を考慮しないとうまく整理出来ない事が多すぎた。
そんな事をうだうだ考えながらマレコン通りを宿に向かって歩いていると、私のカメラに気付いた子供達が 「撮ってくれ」とリクエストした。笑顔で応じて撮影をし親指を立てて「Very Good!」と告げると、彼らはよろこびはしゃぎながら駆け去っていった。この時、彼らと私の間にはどこよりも平和な時間が流れていた。
参考文献:
キューバを知るための52章 後藤政子、樋口聡(編著) 明石書店
キューバ―情熱みなぎるカリブの文化大国 WCG編集室 (編集) トラベルジャーナル
2006年6月30日初掲載
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